こんにちは、Kimmyです。
もうすぐ年に一度の総会の日がやってきます。
総会では、活動に関する諸々を相談したり、
予算案を審議したり、役員を決めたりします。
現在のように規約を定め、
それに基づいて組織的に活動するようになって20年経つか経たないか、
…というところです。
それ以前は良くも悪くもアバウトで、
とりあえず何とかしてきた…的な大らかさの中で動いていた感じです。
ふと“愛好会の原点”って何だ︎…と思い、
伝わっている「議事録」なるものを引っ張り出してみました。
そもそもは「マンドリンアンサンブルがしたい」
という数名のメンバーが集まったことが始まりでした。
「静岡マンドリン愛好会」という名称を決定したのは、
1973年10月21日であるという記録が残っています。
当時から週一で集まって練習を行うとともに、
方向性の確認やら練習場所確保の相談などをしていたようです。
2人以上集まるなら、そりゃ毎週でも弾きたいですよねぇ、
…マンドリン愛好会なのですから。
また、その議事録では、
演奏会や訪問演奏など具体的な演奏機会のイメージも探りつつ、
メンバー増強や楽器・楽譜の手配に心を砕く等々、
やりたいことの実現に向けて知恵を絞り協力し合う様子が見て取れるのです。
今も昔も同じなんだな、と微笑ましく思いました。
今と違うのは、当時は20代のメンバーばかりだったことです。
私が加入したのはこの3年後でしたが、
30代以上のメンバーはまだいませんでした。
ある時、想定外の未成年の加入希望者が現れました。
女子高生の友達同士の2人でした。
受け入れに先立ち、メンバーで真剣に協議をしたことを思い出します。
当時も平日の夜に毎週練習を行なっていたものですから、
練習が終わるのは21時過ぎでした。
そこで「帰りは必ず送り届ける」…等の対応を決めたのです。
今にして思えば大した年の差ではなかった訳です。
でも当時のメンバーは「大人の社会人としての責任」を感じ、
「真面目に遊ぶこと」に真剣に向き合う中で、
誠実な姿勢で女子高生2人をメンバーに迎え入れようと考えたのです。
今に繋がる「幅広い年齢層」の原点だったのでしょうか。
ちなみにその時の高校生の1人は現在も在籍し、その後プロにもなったN野氏です。
現在、創立当初のメンバーは残っていません。
それでも記録を辿った限り、その頃の方針と今とでは、
人は入れ替わってもさほどブレてはいないように思いました。
例えば選曲。
「オリジナル曲中心」と議事録に明記されています。
大きなホールで通常三部構成のステージを組む今の定期演奏会では、
音楽のジャンルを広げて選曲をするようになったものの、
イタリアマンドリンオリジナルのジャンルを外しはしません。
あと議事録の中で面白いと思ったのは、
「入場料は100円くらいもらう」とあった点です。
入場料についての議論は過去に何度か行なってきました。
「アマチュアなのだから無料で良い」という考えもあり、
意見の分かれる問題ではあります。
でも、ここであえて「有料」という選択をすることで、
より良い演奏をしていこうという姿勢を貫くのが愛好会流ということなのだと思います。
創立当初の考え方も、きっとそうだったのではないでしょうか。
とは言え、これまでには数々の変革も行われてきています。
愛好会は、決して変わることを恐れてはいません。
変わる時には変われる勇気を持っています。
そして今が変わるその時なのか、そうではないのか、
しっかり見定めて対処していく知恵も、メンバー皆が持っていると思います。
まもなく開かれる総会で話し合うことについて、
今年もしっかり向き合っていこうと思います。
真面目でありつつも不必要な厳しさは退け、
楽しく合奏をしたい…という素朴な原点を忘れずに臨みたいと思います。
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2020.4.11(土)静岡マンドリン愛好会サロンコンサート(AOI講堂)
2020.9.27(日)静岡マンドリン愛好会46th.定期演奏会(AOIホール)
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JSYMO企画
2020.7.11〜12 MMC2020
2020.8.20〜22 JSYMO2020セミナー
2020.8.23 JSYMO2020コンサート
http://youth-mandolin.org/
2020年01月20日
愛好会の原点
posted by かんぢちょ at 20:43| Comment(0)
| 日記